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帰って来る

愛する友よ。私たちは、もうすでに神様の子供です。これから先のことは想像もつきませんが、ただこの一事だけは、わかっています。つまり、キリスト様がお帰りになる時、」私たちがキリスト様に似た者となるということです。というのは、キリスト様のありのままの姿を目のあたりにするからです。 Ⅰヨハネ3:2

イエス・キリストは墓に葬られたあと、三日目によみがえり、弟子たちに現われて、40日後に弟子たちの見ている前で天に帰っていかれました。そして、弟子たちに聖霊を注ぐと約束されました。天に帰ってから10日目に、聖霊を求めて祈っていた弟子たちは、上から力強く聖霊を注がれ、今まで語ったこともない異言で神を讃えだしたのでした。聖霊は原動力となって、そこから教会の働きが開始され、今日のように全世界のほとんどの地に、キリストの福音が伝えられて来ました。
イエス様は、「私はあなたがたを孤児とはしない」と言われました。天に行かれたまま何もなかったわけではなく、天から聖霊を与え福音宣教のわざを弟子たちを通して広めていかれたのです。さらには、再度、この地に戻って来ると約束されました。それは、聖徒たちを迎えるためにです。イエス・キリストを信じて神の子とされた人々を天に迎えるために、帰って来られます。すでに亡くなっている聖徒たちは、そこでよみがえります。生きている聖徒たちも、一瞬にして栄光の体に変えられるのです。
今はまだ恵みの時代です。どんな人でも、イエスを救い主と信じ、罪を悔い改めるなら救われます。神の子とされます。けれども、恵みの時代はわずかな時間しか残されていません。ですから残されたわずかなチャンスに、イエスを信じて救われる必要があります。「今は恵みの時、救いの日である」それはわずかな期間しかありません。
  1. 2017/06/13(火) 17:11:55|
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望まれる生活

私たちがこの方に属していることを、どうすれば確かめられるでしょう。それには神様の要求を実行するほかにありません。
         第一ヨハネ2:3

私たちに信仰があるかどうかは、私たちがキリストに望まれるような、キリストらしい生活を送っているかどうかでわかります。クリスチャンということばは、キリストのような人、いやキリストのような奴という一般の人からの評価だったのです。いかにも彼らの生活がキリストが歩まれたような、力とわざを行なっていたかがわかります。その心にはキリストの霊が宿っていたのです。
先日、親しくしていた方が天に帰られました。90歳でした。眠るような最期だったと聞きました。この方は、女性でしかも若い時からイエス様一途な生き方をしてこられました。信仰を持って、献身されて、京都の宇治と言う地で開拓伝道をされて、多くの人を主に導いて来られました。幼稚園経営もされており、幼児教育にも力を入れて来られたのです。
ある時に、牧師を後継者にゆずり、京都の教会に赴任されました。そこでも牧師の働きを長年されましたが、年齢的なこともあり、数年前にリタイヤされました。いつも会うと張りのある声で、お話しされていました。話題はいつもイエス様のことです。そして信仰のために戦うことを語っておられました。この先生の内には常にイエス様がともにおられるのが伝わってきたものです。
キリストが望まれる生活。力と愛なる御霊の満たしがいつもあったのです。私も後を辿って行きたいと願わされています。
どうぞイエス様の祝福がありますように。
  1. 2017/06/08(木) 19:02:35|
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神にささげる

あなたがたにお願いします。自分の体を神様にささげてください。それを、神様に喜んでいただける、生きた、きよい供え物としてください。 ローマ12:1,2

神を礼拝することは、自分をささげる行為です。教会では日曜日に日曜礼拝、場所によっては主日礼拝といいますが、日曜日に礼拝を行なっています。日曜日を聖日というところもあります。聖なる日です。
聖日礼拝だけが礼拝の時間ではありませんが、多くの場合、この聖日礼拝を大切にして守っています。礼拝では、集まった者たちが、ともに祈り、ともに賛美を歌い、ともに信仰の告白を行ない、そして、牧師による説教を聞き、感謝を捧げます。感謝を捧げるとは、礼拝献金を指します。主に対する感謝献金です。一週間の恵みを献金で表すのです。
捧げるのは献金だけではありません。自分の体を主の御前に捧げるのです。全身全霊で神に感謝します。生きた、生き生きとした気持ちの通った感謝。きよい捧げものです。きよい気持ち。純粋な気持ちで祈り、賛美し、感謝します。
子どものような心で神に向かい、心から感謝する。その礼拝を主イエス様は喜んでくださいます。この世は、邪心や、打算などで満ちています。そのようなこの世のものを一掃して、無私、無垢な心で礼拝するなら主の喜びが満ちて参ります。
主の祝福が豊かにありますように。God bless you!
  1. 2017/05/25(木) 11:24:39|
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自分をきよめる

肉体と霊を汚すいっさいの悪ときっぱり縁を切って、自分のきよめようではありませんか。 2コリント7:1

私たちの周りには、さまざまな悪が存在します。私たちの体を汚すもの。しかもインターネットで容易に情報を手に入れられる時代ですので、汚れた動画、汚れた画像などを見ることが野放し状態です。その悪の投ずる網にかかり、体や心が汚される人の何と多いことでしょう。
そのようなものから抜け出すためには、きっぱりと縁を切ることが必要です。私たちは罪の奴隷になってしまってはいけません。罪を犯すものは罪の奴隷である、と主イエス様は言われました。
奴隷状態から解放されるには、主イエスの十字架のわざを信じ、その血潮によってきよめられたことを信じることです。御子イエスの地がすべてをきよめてくださいます。
いつまでも罪の世界にいるなら、生涯を棒に振ることにもなります。本当の自由もなく、解放もない。暗黒の世界で蠢くしかないのです。誰がそんな生き方を望むのでしょうか。
思い切ってイエス・キリストのもとにきて、イエスのふところに飛び込んでください。思い切りが大事です。イエス様はあなたを喜んで迎えてくださいます。
もう肉体や霊をけがす生き方をやめましょう。神の祝福を祈ります。
  1. 2017/05/12(金) 11:55:27|
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純粋なきよい者

あなたの真理のことばを教え、彼らを純粋な、きよい者としてください。 ヨハネ17:17

私たちは神のみ言葉によってきよめられます。聖別と言いますが、聖と言う字は王の口に耳で構成されています。王とは神のことであり、口は神の口から出て来るお言葉のことです。その言葉に耳を傾けている姿が聖なのです。神様の言われる一言一言に耳従うなら聖別されるのです。
あなたの真理のことばを教え。この教えるのは、教会の牧師とも取れますが、それは、神の御霊によりなされていると解釈できます。ですから、御霊の働きによって、私たちが聖書を手にして読んだり、あるいは説教を聞いたりすることにより、私たちは神にあって純粋な者、きよい者とされていくのです。
努力してきよくなろうとしても、残念ながら私たちの心は萬のものよりも偽るものである、とあります。はなはだ悪に染まっているのです。念仏のように千回、万回「きよくなれ」と唱えたとしてもきよくはなりません。
神のことばに聞き従い、実行、実践する姿勢がなければ変化はないのです。どうぞ、真理のことば、聖書に耳を傾けてきよめられた生き方をしてみませんか。神の導きがありますように。
  1. 2017/05/06(土) 17:26:25|
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