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神様の慰め

幼いころからずっと、私は神様にお従いしようと心がけてきました。神様のおことばによって、いつも慰められてきました。
    詩篇119:52

子どものころから教会に行って、神様のことばを聞いて育つ人は幸いです。日本では、キリスト教会が約8千ほどあるそうです。クリスチャン人口が100万人と言われていますが、カトリックなど含めていますので、いわゆるプロテスタントの教会は、その3分の1ほどでしょうか。忠実に日曜日に礼拝を守っている人は、プロテスタントでは30万人いるか、どうかです。少数です。韓国などは、1千万人以上いると言われています。親がクリスチャンであれば、日曜日は教会に連れて行かれ、教会学校、礼拝と出て、聖書の学びを受けます。
幼いころからずっと神様に従う、と決心して、実践できる人は幸いです。神様に祝福されています。神様のおことばによって、慰められてきました。人からの慰めもありがたいことですが、神様からの慰めは確かです。「あなたを離れず、見捨てない」と神様は私たちに語っておられます。神様は私たちを裏切ることはなさいません。私たちは時として、人を裏切ったりして悲しませてしまいますが、神様は真実なお方ですから、どんなことがあっても裏切ることはなさいません。私たちが、お従いしようと心がけるかぎり、神様は私たちを守り、導いてくださいます。「年の若いうちに造り主を覚えよ」とあります。今ほど若くはならないのですから、今です。今、あなたの造り主である神様を覚え、お従いしましょう。神様の祝福をお祈りいたします。                       
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  1. 2017/06/15(木) 20:41:26|
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帰って来る

愛する友よ。私たちは、もうすでに神様の子供です。これから先のことは想像もつきませんが、ただこの一事だけは、わかっています。つまり、キリスト様がお帰りになる時、」私たちがキリスト様に似た者となるということです。というのは、キリスト様のありのままの姿を目のあたりにするからです。 Ⅰヨハネ3:2

イエス・キリストは墓に葬られたあと、三日目によみがえり、弟子たちに現われて、40日後に弟子たちの見ている前で天に帰っていかれました。そして、弟子たちに聖霊を注ぐと約束されました。天に帰ってから10日目に、聖霊を求めて祈っていた弟子たちは、上から力強く聖霊を注がれ、今まで語ったこともない異言で神を讃えだしたのでした。聖霊は原動力となって、そこから教会の働きが開始され、今日のように全世界のほとんどの地に、キリストの福音が伝えられて来ました。
イエス様は、「私はあなたがたを孤児とはしない」と言われました。天に行かれたまま何もなかったわけではなく、天から聖霊を与え福音宣教のわざを弟子たちを通して広めていかれたのです。さらには、再度、この地に戻って来ると約束されました。それは、聖徒たちを迎えるためにです。イエス・キリストを信じて神の子とされた人々を天に迎えるために、帰って来られます。すでに亡くなっている聖徒たちは、そこでよみがえります。生きている聖徒たちも、一瞬にして栄光の体に変えられるのです。
今はまだ恵みの時代です。どんな人でも、イエスを救い主と信じ、罪を悔い改めるなら救われます。神の子とされます。けれども、恵みの時代はわずかな時間しか残されていません。ですから残されたわずかなチャンスに、イエスを信じて救われる必要があります。「今は恵みの時、救いの日である」それはわずかな期間しかありません。
  1. 2017/06/13(火) 17:11:55|
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望まれる生活

私たちがこの方に属していることを、どうすれば確かめられるでしょう。それには神様の要求を実行するほかにありません。
         第一ヨハネ2:3

私たちに信仰があるかどうかは、私たちがキリストに望まれるような、キリストらしい生活を送っているかどうかでわかります。クリスチャンということばは、キリストのような人、いやキリストのような奴という一般の人からの評価だったのです。いかにも彼らの生活がキリストが歩まれたような、力とわざを行なっていたかがわかります。その心にはキリストの霊が宿っていたのです。
先日、親しくしていた方が天に帰られました。90歳でした。眠るような最期だったと聞きました。この方は、女性でしかも若い時からイエス様一途な生き方をしてこられました。信仰を持って、献身されて、京都の宇治と言う地で開拓伝道をされて、多くの人を主に導いて来られました。幼稚園経営もされており、幼児教育にも力を入れて来られたのです。
ある時に、牧師を後継者にゆずり、京都の教会に赴任されました。そこでも牧師の働きを長年されましたが、年齢的なこともあり、数年前にリタイヤされました。いつも会うと張りのある声で、お話しされていました。話題はいつもイエス様のことです。そして信仰のために戦うことを語っておられました。この先生の内には常にイエス様がともにおられるのが伝わってきたものです。
キリストが望まれる生活。力と愛なる御霊の満たしがいつもあったのです。私も後を辿って行きたいと願わされています。
どうぞイエス様の祝福がありますように。
  1. 2017/06/08(木) 19:02:35|
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