FC2ブログ

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
  1. --/--/--(--) --:--:--|
  2. スポンサー広告

神の愛から

高い所にいるものも、低い所にいるものも
他のどんな被造物も、
わたしたちの主キリスト・イエスによって
示された神の愛から、
わたしたちを引き離すことは
できないのです。
  ローマ8:39


神の愛からわたしたちを引き離すことはできません。なんというすばらしいことでしょう。母がわが子を愛して、この子のためだったらどんなことでもする、たとえ死んでもいい、と思うように、母には特別の愛情がわが子に対して与えられています。

神の愛はそれ以上に大きく、高く、深く、そして広いのです。母はわが子に対しての愛情ですが、神の愛はどんな人にも変わりなく注がれます。それに際限はありません。ただ、わたしたちはそのような神の愛を知らないで生きています。もしこの愛を知ったなら、その驚くべき神の恵みに感謝することでしょう。

神の愛からわたしたちを引き離すものは何も存在しません。世の権力でもそれはできません。それほどに神の愛が強いのです。あなたは神に愛されています。
スポンサーサイト
  1. 2009/01/30(金) 09:43:18|
  2. 未分類
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

わたしは門である。
わたしを通って入る者は救われる。
その人は、門を出入りして牧草を
見つける。
  ヨハネ10:9


わたしは門である、と主イエスは言われました。門というと、今はちょうど受験シーズンです。狭い門もあれば広い門もあるでしょう。ただ単に門を通るだけではいけません。その門を通るためにはその学校の試験に合格して資格を得なければなりません。そうでなければ本当の意味で門を通ったことにはならないからです。

主はご自分が門であると言われました。そしてわたしを通る者は救われると。この門、救いの門は主イエスを通る必要があります。それは主を信ずることであり、主に従うことであります。主の言われたことを信じ従うのであります。

そしてその門を出入りして牧草にあずかることができます。牧草がいきなり出てきましたが、ここでわたしは羊の門である、と前段階で語っておられているからです。主は私たちを羊のように愛してくださっています。そして豊かに生きられるように命の糧を豊かに与えてくださるのであります。どうぞ、この救いの門を通って真の救いをいただいきましょう。
  1. 2009/01/25(日) 20:34:53|
  2. 未分類
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

大胆に近づこう

だから、あわれみを受け、恵みに
あずかって、時宜にかなった助けを
いただくために、大胆に恵みのみ座に
近づこうではありませんか。
  ヘブル4:16

神はわたしたち一人一人を愛してくださっています。もしわれわれが危険な状況に陥ったときに、時機にかなった助けを与えてくださいます。詩篇には、私たちを守られる方は、まどろむことも眠ることもしない、とあります。

ですから、大胆に神に近づいて助けを求めればいいのです。あれしたら、これしたらと手間取っている場合ではありません。すぐに、即座に近づくべきです。危険なときにぐずぐずしていたら助かりません。大胆に神に助けを呼び求めましょう。

時宜にかなった助けとあります。ちょうど良いタイミングで神は助けてくださいます。ですから恐れないで神に飛び込んで救いを得て下さい。
  1. 2009/01/22(木) 20:40:30|
  2. 未分類
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

わたしは生きている

主は言われる。
「わたしは生きている。
すべてのひざはわたしの前にかがみ、
すべての舌が神をほめたたえる。」と。
 ローマ14:11


主は、わたしは生きていると言われます。実際に主は生きておられます。礼拝は生きておられる真の神に捧げるのです。すべてのひざは神の前にかがみ、すべての舌が神をたたえます。賛美は口で歌いますが、ただ単にメロディーを歌うだけでなく、真心から神に喜びの気持ちを現していくのであります。

賛美はまさしく礼拝そのものです。歌詞にこめられた言葉に思いをこめて歌います。主はわれらの賛美を喜んでくださいます。主を喜ぶことは力です。歌そのものにも力がありますが、賛美するとその力も何十倍となって働くのです。

すべての人が神を礼拝し、すべての人の舌が神をほめたたえますように。こころからの願いです。どうか神の祝福がありますように。
  1. 2009/01/21(水) 17:05:12|
  2. 未分類
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

総督の救い

総督はこの出来事を見て、
主の教えに非常に驚き、
信仰に入った。
  使徒の働き13:12


総督がパウロの語る言葉や、奇跡を目にして非常な驚きをもって主イエスを受け入れました。信仰に入ったと表現されています。信仰を持つというと特別なことのように思われますが、神からすれば至極当然のことであります。

指導者や責任ある立場の人たちも信仰をもつことは必要です。日本では珍しい出来事に映るかもしれませんが、例えばアメリカでは、今度、オバマ氏が第44代の大統領に就任します。就任式では聖書に手を置いて、神の御前に誓いをするのです。彼らは心から神をおそれ、神に信仰の告白をします。アメリカ国民にとっては、それが当たり前のことなのです。

日本では仏教、神道、と昔からの伝統的宗教があります。そこにキリストが入るとなると特別なことと思われてしまいます。田舎では特にそうです。しかし、世界に目を向ければ日本の人たちの考えは狭いといわざるを得ません。主の教えに非常に驚き、信仰に入っていく人たちが、この日本にももっと与えられるように祈る者です。
  1. 2009/01/20(火) 20:47:22|
  2. 未分類
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

愛する者を鍛え

わが子よ。主の鍛錬を軽んじてはいけない。
主からこらしめられても、力を落としては
いけない。なぜなら、主は愛する者を鍛え、
子として受け入れる者を皆、
鞭打たれるからである。
  ヘブル12:5,6


主の訓練として、試練や困難はあるというのです。スポーツをする人が日々に自分を鍛錬して優れた選手になるために励んでいます。その道を窮めようとする人ももっと向上できるように自分を鍛錬しています。クリスチャンも主から与えられる訓練があります。それを軽んじないようにしなさいというのです。

まずは基本的なことを大事にします。祈り、聖書を読むこと、礼拝、奉仕、献身などです。神に近づく方法としてこのような基本的なことを確実に実行できるようにするなら、いざ試練が来ても大丈夫です。それを乗り越えることができます。

また試練によって意気消沈させられることもありますが、気落ちしてはなりません。なぜなら、主は試練を与えられますが、試練と同時に、それに耐えられるように逃れる道も与えてくださるからです。鍛錬は神の愛のムチである、と考えられたらずいぶんと苦しみも和らいでくると思います。どんな苦しみも主の十字架によって軽減される。主の十字架の苦しみを思えば乗り切ることもできるのです。どうか、今、試練にある方に主の助けがありますように。
  1. 2009/01/19(月) 21:16:13|
  2. 未分類
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

真実を語れ

だから、偽りを捨て、それぞれ隣人に
対して真実を語りなさい。
 エペソ4:25


偽りを捨てなさい。私たちは人を偽ることは罪だと知っています。うそをついて、相手に不利益を与えるなら犯罪となります。偽りを捨てなければなりません。十戒の中にも「偽ってはならない」とあります。知らず知らずのうちに偽りの心は生まれてしまいます。

小さな子どもが人に教えられたわけでもないのに、一人前にウソをついたり、ごまかそうとしてしまいます。生まれながらの罪人であることを認識させられる瞬間です。ですから、意識して偽りを捨てるようにしないといけないのであります。

偽りの代わりに、真実を語ればいいのです。真実こそが人を慰め、励まし、正しく導くことができるものであります。偽りは、それがばれてしまったときにすべてが消え去ってしまいます。真実は逆にすべてを正しく積み上げていくのであります。

人間関係において真実を語ることによって、よいものを積み上げて、不動の関係、磐石な関係を作り上げることができます。真実を求め、真実を語るものとなりましょう。
  1. 2009/01/16(金) 20:07:21|
  2. 未分類
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

祈っています

愛する者よ。あなたのたましいが
恵まれているように、
あなたがすべての面で恵まれ、
健康であるようにと
祈っています。
  Ⅲヨハネ 2


私たちの祈り、願いは三拍子の祈りが主です。一つはたましいが恵まれることです。たましいとは心の奥にある霊といってもいいでしょう。人間の中核をなすものです。そのたましいが恵まれるようにとは、どういうことでしょうか。たましいが元気であることです。どうしたら元気になれますか。それは神のいのちを十分にいただくことによって元気になれます。

たましいが神のいのちに満たされるようにするには、まずその人が神に祈り求めることです。それから、聖書を読んでいのちの糧をいただくことです。何よりも充電したり、給油するように教会の礼拝に出て栄養補給をすることも必要です。そのようにしてたましいが恵まれるのです。

すべての面において恵まれること。生活が恵まれることです。仕事が祝福されることや、家庭内が平和で、互いに愛し合っていること。今はこの祈りこそ必死でなされる祈りでしょう。神は祝福の神ですから信頼する者を恵んでくださらないはずはありません。信じて祈るだけです。

健康であるように。何をするでも健康が一番といわれます。病気よりは健康がいいのですが、体は丈夫でも心が病んでいる人が結構います。心身ともに健やかであるように、あり続けるように祈る必要があります。三拍子の祝福の祈りを愛する人のために実行しましょう。アーメン!
  1. 2009/01/15(木) 15:17:51|
  2. 未分類
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

この悪の世

キリストは、わたしたちの神であり父である方の
御心(みこころ)に従い、この悪の世から
わたしたちを救い出そうとして、御自身を
わたしたちの罪のために
献げてくださったのです。
 ガラテヤ1:4


イエス・キリストが世に誕生し、十字架にかかって死んでいかれたのは、およそ2千年も前のことです。その頃も、この悪の世とありますように決していい世の中ではなかったようです。といいますか、人の心の悪というものは時代がどのように移り変わろうとも変わるものでないと言うことができます。

どの時代でも人の心には悪がある、すなわち罪があるのです。キリストはその罪のために御自身を献げられました。それが神のみこころであったからですが、主イエスは、自ら進んで十字架の道を歩んでいかれたのであります。自発のささげ物として御自身をささげられました。

その動機は人々への愛であります。わたしたちを愛してくださったから、十字架の死を喜んで選ばれたのです。父としての痛みは子へ向けられますが、あえてわが子をささげることにより人々への救いの道が開かれることを思って、ささげることを善しとされたのです。神の愛の深さです。その深さをもっと知りたいです。多くの人たちが神の愛の深さ、広さ、高さ、長さを知りますように、お祈りします。
  1. 2009/01/07(水) 09:48:26|
  2. 未分類
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

あふれさせて

神はこの恵みを私たちの上にあふれさせ、
すべての知恵と理解とを与えて、
秘められた計画を私たちに知らせて
くださいました。
  エペソ1:8,9


恵みをあふれさせてくださる神さまです。豊かな恵みを注いでくださるのです。今はどこに行ってもきびしいという言葉が聞かれます。ため息や嘆きはあってもあふれる感謝や喜びはありません。厳冬にますます震える感じです。

神は私たちを愛してくださっています。ですから私たちに必要なものは与えてくださるというのです。ただ、その前に、まず神の国と神の義を求めることを勧めています。神を求めるなら、神は必要なものを与えてくださいます。あふれる恵みで満たしてくださいます。

物質も必要です。衣食住は最低限必要であります。そればかりでなく、神は私たちの心をあふれる喜びで満たし、私たちのたましいを生き生きとして生かしてくださいます。霊も心も体も、すべての必要を満たしてあまるまでに満たしてくださいます。ですから神の国と神の義をまず求めていきましょう。
  1. 2009/01/05(月) 16:31:34|
  2. 未分類
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

霊的祝福

私たちの主イエス・キリストの父である神は、
ほめたたえられますように。神は、私たちを
キリストにおいて、天のあらゆる霊的な祝福
で満たしてくださいました。
  エペソ1:3


神は天のあらゆる霊的な祝福を注いでくださり、満たしてくださるお方です。地上ではお金さえあれば、何でも買えるし、手に入ると思われています。日本では世界中の物が手に入れられる。願いさえすれば手に入らないものはないと思われています。

しかし手に入らないものも実際にあるのです。天の祝福です。霊的な祝福はお金では買えません。どれだけお金を積んでも手に入りません。多くの人は天の霊的な祝福を得ようともしないので、それがわからないのでしょうが、それは大きな損失です。

これから先は、本当のものをだれでもが追及する時代になるでしょう。本当の幸福は何かを求めるようになるのです。それは物ではなく、目に見えないもの、霊的な祝福だということに目が向けられるならさいわいです。

聖霊が注がれると、人は新しくされます。生まれ変わってくるのです。人は新しくなりたいと願ってもなかなかなれない。そのことで悩んでいる人も多いようです。自分の努力では限界があります。聖霊によって新しくされることで生まれ変わることができます。ハレルヤ。神は私たちに天のあらゆる祝福を注いでくださいます。ですから、上より注がれる祝福を待ち望みたいと思います。
  1. 2009/01/04(日) 15:53:00|
  2. 未分類
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

アーメン

私たちの主イエス・キリストの恵みが
あなたがたすべてとともにありますように。
アーメン。
  ローマ16:24


新年が明けました。今年もよろしくお願い申し上げます。
あいさつとして書かれている一文です。私たちも手紙やメールのやりとりで、最後に書く一文であります。文の最後にアーメンと書き足して締めるのですが、アーメンとなんぞや、キリスト教のまじないか?と思う人もあるようです。決してまじないではありません。ちゃんと意味があります。

アーメンとは、確かにその通りです、という意味です。まことに、まことにそのとおり、と念押しして言います。主イエスの恵みがあなたがたにあるように、アーメンとなれば、最後のとどめ、間違いない!と確信できるのであります。

これからも幾度となく、私たちの生活の中で、アーメンといえるすばらしい出来事が来るでしょうか。そう期待する人は幸いです。あなたの信じたとおり、そのようになると約束されています。アーメンです。信じない者にならないで、信じる者になりましょう。信じるならば必ず神の栄光を見ることができます。ハレルヤ。主の祝福をお祈りします。
  1. 2009/01/03(土) 17:22:27|
  2. 未分類
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。