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悪を離れよ

自分を見て賢いと思ってはならない。
主を恐れて、悪を離れよ。
  箴言3:7

 マックで学校の校長が教え子であった女性を相手にみだらなことをしたとして逮捕されました。その女性は先生からいろいろと世話になっていたので抵抗できなかったのでしょう。それにしても校長という立場を悪用してとんでもナイトです。

 ある教師は脅迫メールを送りつけて逮捕されました。学校の教師は昔は尊敬の対象、生きる鑑であったのですが、いまや地に落ちて羞恥の対象になっています。すべての教師がそんな破廉恥をしているわけではありません。まじめに金八先生を地で行くような方もあるでしょう。それでもあまりにも教師の不祥事が続いているので不信感が募ってしまうのです。

 自分を見て賢いと思ってはならないとあります。どんなに賢いと思っても、もっと賢い人はたくさんいます。どんなに学んでも学ぶことは尽きません。知らないことは無限にあるのです。むしろ一番肝心な自分の本当の姿さえも知らない人って案外多いのではないでしょうか。

 主を恐れて、悪を離れよ、と進めています。不正は必ず暴かれますし、正義によって征服されます。罪を改めて、悪から離れることが大事です。神は畏れ多いお方です。決して悪を容認されません。それを離れる時に、主は新しい人へと変えてくださいます。主を恐れましょう。悪からおさらばしましょう。アーメン。

 
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  1. 2008/05/31(土) 16:05:01|
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安全である

しかし、わたしに聞き従う者は安らかに住まい、
災いに会う恐れもなく、安全である。
 箴言1:33

 今の日本で一番求められているのは安全と安心です。食の安全・安心は今ほど脅かされているときはないように思います。船場吉兆が先日、信用をなくして客が離れ、とうとう廃業するに至りました。あの女性社長の謝罪経験を見て、かわいそうにと思った人は少なかったことでしょう。自己のエゴのために客を偽り、使い回しをしていたこと、産地偽装と数々の悪質なことが明るみに出ました。もう誰もそのような店には行きたいとは思えません。

 中国産の冷凍餃子のことや、中国産の野菜など、今でも不安です。ですからほとんどの人は中国産を警戒してなるたけ別な産地のものにするでしょう。食は即、命にかかわりますから慎重に考えなければなりません。産地偽装はうなぎでも大隅産と偽っていたことで、最近業者が摘発され逮捕されました。厳しい取締りが必要です。

 私たちが住んでいる社会では安心できる場所や、できるものは少なくなっています。主は私たちを安らかに住ませてくださり、災いに会う恐れから守ってくださいます。彼こそわれらのガードマンとなって日夜守ってくださるのです。私たちを守られるお方は、眠ることもなくまどろむこともありません。このお方に信頼して、このお方の言われることに聞き従うなら安全で、安心であります。
  1. 2008/05/30(金) 17:26:30|
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母の教え

わが子よ。あなたは父の教訓を聞き、
母の教えを捨ててはならない。
 箴言1:8

 父の教訓を聞いて生きよと聖書は教えています。私の父は学校に行きたかったのですが、家が貧しく満足に学校に行くことはできませんでした。18歳になって、志願兵となって軍隊に入りました。航空隊所属になって、飛行機の整備などを全国の様々な地に行って行ったと聞きました。

 零戦も整備して、そして南の太平洋目掛けて飛び立つ若者たちを送ったこともあったようです。神風特攻隊となって散っていった若き命です。数年後には終戦を迎え、故郷に戻って農業をしたのですが、物不足の時代です。生きるのも容易ではなかったと思います。戦後になり、母と結ばれ、三人の子どもに恵まれて現在に至るのですが、父は自分の口で教訓を語ることはほとんどありませんでした。だけど、口で語らない代わりに体で、行動で語っていたように思います。まじめな父、仕事一筋の父でした。

 母もそのような父と一緒にまじめな生き方をしてきました。母は口でいろいろと生きる道を教えてくれました。昔はガスもなく、かまどに火を起こしてご飯やおかずを作っていましたから、かまどで火をたきながら母の語る教えに耳を傾けたものです。今思い返しても、正しく、人に迷惑をかけないように、人の嫌がることはしない、といったことを教えとしてよみがえってきます。母の教えは折に触れ、時に応じて生きて働くものです。今日あるのはそのような父の教訓、母の教えがあったからだと感謝しています。その父も母も主イエスにあって救いを体験してくれることを今は切に願っています。
  1. 2008/05/29(木) 18:20:34|
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あなたを練った

見よ。わたしはあなたを練った。
しかし、銀のようにではなくて、
苦しみの炉をもってあなたを試みた。
  イザヤ48:10

 試練が誰にでもあります。順調満帆にみえていても本人にとっては耐え難い苦しみに思えることもあるのです。だれでもできることなら、このような試練は欲しくないと思うでしょうが、聖書にはあなたを練ったと書いてあります。

 中国の四川大地震にしても試練です。なぜ中国で起きたのか。インドでよかったのに、と言っても何にもならないことです。なぜミャンマーにサイクロンが来たのか。タイに来ればよかったのに、と叫んでも仕方ないことです。

 日本も大地震や台風の被害は何度も受けて来ました。日本は台風の通り道です。地震は日本のどこででも起きる可能性があります。日本はそれ以外に戦争で核爆弾を投下され未曾有の被害を受けました。これも試練でした。

 神は銀を練るようにではなく、苦しみの炉をもって練るというのです。それは純粋に神に生きるようになるためです。試練を通して人は磨かれ、真のかがやきを持つようになります。練られるときは大変な苦しみを味わうでしょうが、それをとおり越したらなんともいえない喜びが湧き上がってくるといえます。

 三浦雄一郎氏がチョモランマの山、エベレストを75歳で登頂しました。日本では最高齢の快挙です。大変な苦しみだったと思いますが、彼はそれをやり遂げたときに「うれしい」と素直に感想を語ったのであります。苦しみの炉は避けられません。けれど神とともにその苦しみに向うなら克服することができます。今、苦しみにある方も神に目を向けて進んでください。必ず「うれしい」と最後には言えると信じます。

  1. 2008/05/28(水) 16:13:17|
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主を知ろう

わたしたちは主を知ろう。せつに主を知ることを求めよう。
主はあしたの光のように必ず現れいで、
冬の雨のように、わたしたちに臨み、
春の雨のように地を潤される。
  ホセア6:3

 「何でも見てやろう」という本が昔にはやりました。わたしたちは未知の世界に興味を持って、何でも見てやろう、何でも知ってやろう、とするものです。最近はテレビ番組ではクイズものが多くなっています。ためになる常識問題もあれば、雑学ものもあります。知らなければならないことはいっぱいあることを教えられます。

 けれども人生はあまりにも短いです。知ることは限られています。どんなに知識が豊富であってもそれが必ずしも役立つとは限りません。まず私たちが知らなければならないことは、多くはありません。ひとつだけ、それは主を知るということです。

 主を知るためには、主を求める姿勢が必要です。それは聖書を開くことでもありますし、教会に行って礼拝することでもあります。ただ心が伴わないなら、いくら教会に行ったからといっても主を実感することはできません。真実に求める心が必要です。

 主は朝日のように必ず現れてくださいます。寂しくて長い夜があったとしても、朝は必ずやってきます。朝日は必ず昇るのです。主は私たちの希望となってくださいます。また春の雨のように地を潤されます。雨が降らないと大地は枯れてしまいます。私の人生が、その生活が枯れてしまうなら生きている希望も喜びもありません。幸いなことに、主は求める者に春の雨のように潤いを与えてくださいます。さあ、あなたも主を求めませんか。主を知ろうと近づいてください。
  1. 2008/05/27(火) 15:51:06|
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夢、幻を見る

その後わたしはわが霊をすべての肉なる者に注ぐ。
あなたのむすこ、娘は預言し、
あなたがたの老人たちは夢を見、
あたたがたの若者たちは幻を見る。
 ヨエル2:28

 夢のない時代に生きているような気がする毎日です。幻を描けない時代です。すでに勝ち組、負け組みとして将来が決められていて、諦めや絶望感すらただよっている気がします。

 聖書はいかなる時代に生きていようと、決して夢がないとか、幻がないとと言っておりません。むしろ主の霊が注がれるとき、そこにはとてつもなく大きな夢が与えられたり、幻が与えられたりします。主なる神は私たちが考えているよりも偉大な方だからです。

 後期高齢者医療問題で政府与党と、野党の主張が違っております。あの医療制度は高齢者をいじめるものだとお年寄りの人たちにも怒りの声があがっています。日本の戦中、戦後を支えてきた人たちに対してこのような扱いはないだろうと、確かに思います。このままでは老人たちは夢も希望もない状態です。

 若い人たちも思うような仕事につけず、ニートになったり、パートやバイトでその日暮らしが精いっぱいといった人も多いようです。せっかく社員になったとしても、その社会に対応できず精神的に病んでしまうといったケースも見られます。幻を見ることができないのです。

 社会に求めても限界があります。期待に応えてはくれません。しかし、神なる主は私たちに上よりの力で満たしてくださり、その力、勢いで生きる希望や喜びに満たしてくださいます。主の霊に満たされるとき人は変わるのです。キリストに希望を、キリストにあってビジョンを抱くことができます。

 札幌農学校でクラーク博士が言った有名な言葉。「少年よ。大志を抱け。イエスのために」
 Boys, Be ambisious for Jesus!
  1. 2008/05/26(月) 11:13:44|
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星に導かれて

彼らはその星を見て、非常な喜びにあふれた。 マタイ2:10

 今の時代は星よりもカーナビゲーションによって正確に目的地に達することができます。カーナビも人工衛星から発せられる情報を得て、それをカーナビがキャッチして自分のいる場所、行こうとしている目的地を示してもらうのです。

 昔の人は空に浮かぶ数々の星によって自分の位置を知りました。また、方角を知って誤った方向に進まないようにしたのです。星は目印でもあります。また、星によって人生観を教わることも多いといえます。

 この場合の星とは、救い主の誕生を知った博士たちが星に導かれて、その居場所にたどり着いた話です。星が動いて彼らをイエスの元に導いたのです。それで彼らは非常に喜びました。彼らの旅の目的が星によって達成されたからです。

 私たちの人生の旅も星の導きが必要ではないでしょうか。わが人生をナビゲートしてくれる希望の星があったらと思います。実は目には見えないけれども、神はいろいろな物事を通して人生を導いておられます。それをみこころと読んだりします。たどり着く先は救い主イエスの元なのです。きっとこのお方に出会って、非常に大きな喜びに満たされることでしょう。あなたも星を求めてみられてはいかがでしょうか?Amen!
  1. 2008/05/24(土) 15:59:59|
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神われらと共にいます

見よ。おとめがみごもって男の子を産むであろう。その名はインマヌエルと呼ばれるであろう。これは、「神われらと共にいます」という意味である。 マタイ1:23

 イエスはおとめマリヤから誕生しました。よく映画でもマリヤや夫のヨセフが出てきます。彼らはいいなずけでありました。ところが、マリヤは聖霊によって身ごもり、お腹が大きくなっていきました。そのことを天使よりヨセフは知らされたのです。上の文は天使がヨセフに語った言葉です。

 おとめとはマリヤのことです。男の子はイエス・キリストのことです。その名はインマヌエルと呼ばれると言っています。これはイエスの性質を表現していると言えます。主なるイエスは、われらと共にいてくださるお方だというのです。

 いつも一緒にいてくれる人は真の友だといえます。調子のいい時も、悪い時も一緒にいてくれる。むしろ調子が悪い時にこそ、親身になって悩みを聞いたり、悲しみやつらさを分かち合ってくれる。それができるのが友だちといえます。

 イエスはいつも共にいてくださいます。共にいてくれる人。それは親、兄弟、子ども、ほんとうは夫婦こそがずっと死ぬまでともにいてくれる存在であります。ところが最近はその関係が崩れております。夫婦が仲良くというのは、理想であって現実は違うと思っている人が多いのではないでしょうか。

 主と私たちはやがて婚姻関係に入ると約束されています。主が花婿であり、私たちは花嫁になるのです花嫁はきよく、穢れのない衣装を身に包み、そして婚姻のときを期待しているのです。世の汚れから清められ、しみもない心で花婿をむかえなければなりません。主がやがて来られます。アーメン。主イエスよ、来たりませ!と純粋な思いで迎えたいものであります。
  1. 2008/05/23(金) 20:17:19|
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災いを思い返し

神は彼らのなすところ、その悪い道を離れたのを見られ、彼らの上に下そうと言われた災いを思いかえして、これをおやめになった。 ヨナ3:10

 ヨナは預言者でした。神がヨナに「ニネベに行って彼らに神の罰が下るように警告せよ」と命じられたのです。ところがヨナはいやだったので、行きませんでした。そうしたら大きな魚に飲み込まれてしまい、ヨナは魚のお腹の中で悔い改めたのです。

 それから再度、神に「ニネベに行って彼らに悔い改めないなら、神の罰が下るように警告しなさい」と命じられまいた。今度はさすがのヨナも聞いて、ニネベに行きみんなに警告しました。「40日たったらニネベは滅びる」とセンセーショナルなことを言ったのです。するとニネベの人たちは、たいへん悪い生き方をしていましたが、みんなの者が悔い改めて、悪い道から離れたのです。

 すると神は彼らに下そうとされていた災いを思い返し、これを止められたのであります。神は災いを与えることを望んでおられません。どんな人をも愛しておられますから、たといどんな罪深い人であろうとも、その人がそれを離れて悔い改めるならゆるしてくださいます。救いの手を差し伸べてくださるのです。

 かつては罪に満ちた町であっても、主イエスを信じる人が与えられると、そこは罪から離れて神の祝福の町へと変わることができます。罪を悔いて主に従う人に主はすばらしい許しと、祝福を与えてくださるのです。ヨナの叫びが聞こえませんか。「40日したらニネベは滅びる。」 
  1. 2008/05/22(木) 16:44:53|
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求めよ

すべて主の命令を行なうこの地のへりくだる者よ。
主を求めよ。
正義を求めよ。
謙遜を求めよ。
     ゼパニヤ書2:3

 求めよとあります。まずは「主を求めよ」。主とは全知全能なる神を求めることです。神はなんでもできるオールマイティな神です。天も地も海も、そこに住むすべてのものを創られた方。そして今も生きておられる神です。そのお方を求めなさいと言うのです。神は人格を持ったお方ですから、求める者に報いてくださいます。

 「正義を求めよ」。この世の正義は時としてあいまいな部分があり、国によっては正義も違って解釈されることがあります。本来であれば正義は普遍的なものでなければなりません。聖書は正義について記しおります。神の義といわれるものです。神の義からすると、人間は不義の中に生きています。そこから救われるために、人は神の受け入れ、イエス・キリストの十字架を信じていく必要があります。キリストの死が私たちを罪から解放するからです。

 「謙遜を求めよ」。人は謙遜に生きてこそ神の祝福を受けることができるのです。まずは、自分がいかに罪に汚れているかを知ることが大事です。神の御前で罪を告白して、それから離れるなら罪ゆるされます。そして神のみこころを求めて生きるのです。謙遜は神に対してだけでなく、まわりの人たちに対しても謙虚に生きるべきです。よい人間関係は謙遜な心から生み出されるものです。どうぞ、主を求めましょう。正義を求めましょう。謙遜を求めましょう。神の祝福あれ!!   
  1. 2008/05/21(水) 15:57:09|
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川の流れ

この川の流れるところでは、すべてのものが生きている。 エゼキエル47:9

 川は全国のいたるところにあります。人が住んでいるところには必ず川が流れています。聖書にも川が出てきます。イスラエルにはヨルダン川が流れています。聖書ではチグリス川、ユーフラテス川の出ております。

 さてこの川はどんな川なのでしょうか。この川の流れるところでは、すべてのものが生きるというのです。死んだ川ではありません。命の川です。川はある面、生活を意味するときもあれば、人生そのものをあらわすこともあります。美空ひばりが歌っていました「川の流れのように」は名曲ですが、あの川は人生を教えています。

 この川は命の川であり、すべてのものに命を与える川です。水が豊かに流れているからです。川のほとりに植えられた木は大きく成長し実を豊かに結ぶようになるのです。私たちの生活も生きたものになれます。神の川である聖霊に満たされるとき豊かな神の恵みに浸され、乾ききっていた心もいやされ潤されていつしか生きるものとされるのです。

 目には見えませんが神の川は私たちの心に流れています。この川の流れているところでは、すべてのものは生きることができます。豊かに生きることができるのです。私たちは神に願い求めるなら、いける水を豊かに受け取るようになります。生きていると実感できるようになるのです。求めましょう。
  1. 2008/05/20(火) 16:41:07|
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時がある

天が下のすべての事には季節があり、すべてのわざには時がある。 伝道の書3:1

 私たちの国は四季のはっきりした国です。今はもう春から夏に移り変わるときです。それなのに早々と台風が起きて、日本列島に近づいています。そのためか、今日は昼前から雨が降り始め、今も激しく降っております。多少の雨は歓迎されますが、多すぎると災害にもなりますのでほどほどがよろしいでしょう。

 すべてのわざには時があります。生まれるのに時があり、死ぬのに時がある。これは手にしている腕時計の示す時とは違って、その人や、その物に与えられた特別の時であると言えます。時代ともいえますし、環境とも言えます。中国では四川大地震で何万人という人が犠牲になりました。まさかこんなことで亡くなるなんて、だれも考えていなかったでしょうに。

 人の命は誰も推し量ることはできません。いつ、どんな形で亡くなるか。それがわかっていれば、もっと予防もできたでしょう。どんなに元気であっても、事故によって亡くなることもあります。ガンと宣告され、あとわずかの命と言われていても、何年も生きる人もあります。

 生まれるに時があり、死ぬに時がある。確実に人は死にますが、できることならいつまでも死なないでいたいと考える人がほとんどと思われます。死ぬにしても安楽に死にたいと。生死は神の手の中にあります。ですから生きていることを精一杯に感謝することが大事です。たとい死が間近にあっても、今まで生かされたことを感謝するのです。

 すべてを神に任せて生きるなら恐れることはありません。神のなさることはすべて、その時にかなっているのですから。感謝することは数え切れないほど、私たちにはあります。それを忘れてしまっているのが悲しいです。
  1. 2008/05/19(月) 17:44:11|
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すっぱいぶどう

父たちが、酸いぶどうを食べたので子供たちの歯がうく  エゼキエル18:2

 ことわざとして語られていたことばのようですが、父のせいで子どもたちは罰を受けることになる、というような解釈になるのでしょうか。親父のせいで、わしの歯がういて、何にも食べられね~じゃね~か、と子どもたちが嘆いている声が聞こえてきそうです。

 しかし、これは実際は違うのです。父の犯した罪は父が償うべきであります。子どもが犯した罪は子どもが償うべきです。「見よ。すべてのたましいはわたしのものである。父のたましいも子のたましいもわたしのものである。罪を犯したたましいは必ず死ぬ」と続いて書かれています。

 ただ、父の愚かな行為があって、世間から爪弾きされることはあります。子どもの愚かな行為によってその地域におれなくなることもあるでしょう。神の目からみれば、父とか子とか関係なく、すべて平等に見て償いを求められるということです。

 神とわれとは1対1の関係です。父の人徳とか、信仰に免じるということはありえません。子どもの純真さに免じるということありません。すべて一人一人を問われます。そして、罪を犯すたましいは必ず死ぬのです。死んでそれでおしまいではありません。死んで後にさばきを受けることも教えています。「そんなの関係ね~」と思っておられるかもしれませんが、関係はあります。

 ただ、イエス・キリストの十字架の愛を信じるなら、どんな罪人もゆるされます。この救いをぜひ受け取っていただきたいと思います。あなたの罪をイエスはゆるしてくださいます。ぜひ求めてください。

 
  1. 2008/05/18(日) 21:43:39|
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何でもしてあげてください

あの方が言われることを、何でもしてあげてください。 ヨハネ2:5

 カナでの結婚式にイエスと母マリヤも招待されました。ところが宴会の途中でぶどう酒がなくなってしまいました。マリヤは心配になって、イエスに「ぶどう酒がなくなりました」と話されたのです。そして、手伝いの人たちに「あの方の言われることを、何でもしてあげてください」と頼んだのでした。

 宴会でお酒が切れることはせっかくの席を台無しにしてしまいます。イエスもお客のひとりだったのですが、手伝いの人に水がめに水をいっぱい入れるようにお願いしました。手伝いの人たちはそのようにしたのです。それから、その水を汲んで宴会の世話役の所に持って行くように頼みました。そのようにしましたら、なんとその水を受け取った世話役はびっくり仰天しました。水がぶどう酒に変わっていたのです。

 「どこからこの酒を持ってきたのか?」と世話役は尋ねましたが、手伝い以外は知りません。それはきよめのための水だったからです。イエスが言われることを実行すると水がぶどう酒にもなる。すなわち奇跡が起きるのです。そんなばかな!と思えることが実際に起きます。ペテロが水の上を歩けたのも、主が「来なさい」と言われたから歩くことができました。その言葉を信じて踏み出すときに徴や不思議は起きます。病もいやされます。いかに主イエスが言われることを疑わず、またつぶやかずに実践できるかが大切だと言えます。
  1. 2008/05/17(土) 16:11:05|
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心におさめる

人の子よ。わたしがあなたに語るすべての言葉をあなたの心におさめ、あなたの耳に聞きなさい。  エゼキエル3:10

 聞く耳のある人は聞きなさい、と聖書にあります。私たちは耳はあるのですが、その耳がちゃんと聞かない場合が多いのではないでしょうか。それで後になってから、何か問題が生じて「いや、聞いていない」「いや、ちゃんと話した」といった論争になるのです。

 主の言葉は一度聞いたなら、それを自分の心におさめなさいというのです。心におさめる、ということはしっかりと聞いて、それを理解することです。いい加減にしないことです。わからないなら、それを再度確かめることが求められます。命令系統は、命令されたことに対して「ラジャー」と返事をするのです。そうでないと一方通行で終わり、結局伝わっていなかったということにもなりかねません。

 よく整えられた組織であれば、それがうまくいくものです。これがいい加減ですまされているところであれば、うまくいきません。神の言葉はしっかりと伝えられて、それを聞く人たちが心にとめて、さらにおさめて、次へ向うようになります。早合点ではいけないのです。わたしは皆まで言うな!っ手感じでつい早とちり、早合点する失敗をおかします。それを戒めているように思います。はい。
  1. 2008/05/16(金) 16:58:32|
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子どもたち

 町のかどで、飢えて息も絶えようとする幼な子の命のために、主にむかって両手をあげよ。 哀歌2:19

 中国の四川省で起きた大地震の報道が連日行なわれています。中学校や小学校が崩れて、そこにたくさんの子供たちが生き埋めになっていることを映像で知らされました。ほんとうにペシャンコになった建物を見ると、そこにいた子どもたちはどうしているのだろう、と心配になります。

 ある建物は教室の黒板だけが残されて、教室は崩落しておりました。今まで授業が行なわれていたことがわかります。先生や生徒たちはどうなったのでしょうか。日本では見られない、すさまじい地震の爪跡です。学校や病院の建物が軒並みやられているのは、手抜き工事のせいだといわれています。

 「おから工事」と呼ぶそうです。もっとも大事にしなければならない若者たちや、病人をそのようなお粗末な建物に収容していたことに愕然とします。確かに震度7以上の地震でしたから、この揺れに耐えられない建物は多かったでしょうが、3階から1階まで潰れることはなかったのではないでしょうか。
ほんとうにかわいそうでなりません。

 今もなお、建物の下敷きになっている多くの生徒たちを一刻も早く助け出す必要があります。そのためにはひとりでも多くの助けがいるでしょう。中国政府はようやく日本の人的援助を受け入れました。タイムリミットが来ています。即刻、助けに行けるようにして欲しいです。

 幼な子の命のために、主にむかって両手をあげよ。すなわち主に幼な子の命の救いのために一生懸命に祈れ!というのです。親はもちろんですが、私たちも中国の被害にあっている、とくに子どもたちのために祈っていこうと思います。神が助けてくださいますように。アーメン。
  1. 2008/05/15(木) 16:26:27|
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呼び求めよ

 わたしに呼び求めよ。そうすれば、わたしはあなたに答える。そしてあなたの知らない、大きな隠されていることを、あなたに示す。エレミヤ33:3
 わたしとは、神のことです。神に呼び求めなさい。そうしたら、自分の知らないことを示してくださいます。しかも、大きなことです。隠されていること。それはわざわいではなく、将来であり、夢や希望であります。

 人は自分の未来に夢を持って生きるものです。将来が夢の無い、絶望的なものとわかっていたら、だれも求めたいとは思いません。それは隠されているけれど、大きな希望だと思うから、その夢に向って動こうとするものです。もし隠されていたとしても、その一端を見せてもらえるなら、見たいと思うはずです。神は「わたしに呼び求めよ」と語っておられます。大いなる期待をもって呼び求めてみたらどうでしょうか。

 「せいぜいこんなもんよ」と、自分で決めてしまっては、それは残念なことであります。実は自分が考えているよりもっとすばらしいものであることを示されるかもわかりません。大きなことですから、きっともっとすばらしいはずです。神は天地を創られた偉大な方です。そんなお方ですから小さく考えてはなりません。偉大なお方に、偉大なことを期待して、大胆に呼び求めてみたいものです。晴れるや。
  1. 2008/05/14(水) 16:38:57|
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人のこころは

心はよろずの物よりも偽るもので、はなはだしく悪に染まっている。だれがこれを、よく知ることができようか。      エレミヤ17:9

 心は人に見えないのでどんなに悪に染まっているかはわかりません。顔はにこにこしていても心は怒っていることもあるでしょうし、悲しんでいる場合もあるでしょう。もし心がモニター画面に映し出されるような装置が開発されたら、きっとほとんどの人は生きることに不自由を覚えるようになることでしょう。

 だれがこれをよく知ることができようか。人には今のところ人の心までは知ることはできません。幸か不幸かですが。実際に自分で自分の心の中をのぞいて見たら、そのみにくさに愕然とするのではないかと思います。人をねたんだり、憎んだり、とあらゆる偽りのものがいっぱいつまっているように思います。だれもそれをよく知ることができないことを幸いに、人は平然として生きていられるのです。

 ただ、神は人の心を見ることがおできになります。人はごまかせても神はごまかすことはできません。神に向き合うとき、自分の偽りが露見されます。苦しいけれど、そこで神の前に素直になって悔い改めて許しをいただく必要があります。そうしないと死ぬまでこの偽りの心を引きずって生きなければならなくなります。神によって赦していただき、そのような悪を断ち切ってもらうなら、自由に生きることができます。

 まずは心が悪に染まっていることを認めることから始める必要があります。そして素直に神に祈りましょう。救いはそこからスタートします。晴れるや。
  1. 2008/05/13(火) 17:16:18|
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シバの女王

 ユダヤの王、ソロモンを訪ねてやって来たのはシバの女王でした。当時のソロモン王は栄華を極めており、その名声は世界中にとどろいていたのです。女王はあらゆる疑問や謎をソロモンに投げかけましたが、王は全部を明快に解き明かしたのでありました。

 そればかりか、ソロモンの建てた神殿や住まいの豪華さ、そこにいて仕えている人々のすばらしい振る舞いに感嘆したのです。自分が聞かされていたのは半分もなかった、と実物の王に驚嘆したのであります。日本の藤原道長、頼道のような権勢を誇った時代であったといえます。ダビデとソロモンの安定した時代です。

 そのシバの女王のいたところを観光に行った日本人女性二人が武装集団によって誘拐されました。イエメンのマアリブ州でのことです。ここはテロリストたちの暗躍する危険地帯であったのですが、二人はそのことは知らなかったようです。さいわいにも翌日には開放されましたのでよかったですが、安全な場所はなかなかないことを教えられました。ウサマ・ビンラーディンの父の出身地というらしいです。

 聖書に出てくる地は今では踏み込むこともできない危険地帯もあります。いまだにイスラエルとパレスチィナとは紛争が絶えません。エルサレムも3つの宗教が混在しています。それでも一度は行ってみたい地であります。
  1. 2008/05/12(月) 17:22:08|
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母親の愛

 今日は母の日です。「あなたの父と母を敬いなさい」と聖書の中にあります。その教えを実践したのが母の日です。母の日は今から1世紀前にアメリカで起こりました。教会の中から母を敬うムーブメントが起きたのです。
 
 誰にでも母親は存在します。もうすでに亡くなった方もあるでしょうし、まだ健在な方もあるでしょう。わが母は80を越えていますが、元気に農作業をしております。母はいくつになっても強いと思います。小さい頃から、正しく生きるように諭してくれていました。今は自分も50を過ぎていますが、いまでも母の言うことには頭があがりません。

 今日は母の日でした。何かプレゼントをと家内がいろいろと店をまわって、母にカバンを贈っていました。大事そうにおいてありましたが、母は「そんなムダにお金を使わんでよかったのに」と言いながらも喜んでいたようです。教会からは、ある方からの手作りの飾り物を贈りました。自発的にある方が作ってくださったものです。

 母の日に当たって一番思うことは、とにかく元気でいてほしいということでしょうか。だいぶ体力的にも弱っているところもありますが、元気で生きてくれていることに安堵感があります。母はわが家のことや孫、ひ孫のことなど気にかけてくれています。姉の家族、兄の家族とみんなが幸せに生きてくれることが一番の願いのようです。父とも仲がいいですし、われらにとったら理想的な夫婦だと思わされます。いつまでもお元気で。主の祝福、豊かにあれ!毎日お祈りしています。
  1. 2008/05/11(日) 16:28:57|
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新しく始めます。よろしく。

 雨が朝から降っています。こちらは南九州は鹿児島の大隅半島です。雨は延々と降って止みそうにありません。北海道では雪が降ったそうで、つい数週間前には30度を越した真夏日になったのに、急に冬に戻ったようです。これでは体がたまりませんね。

 体はこの時期になると疲れやすいです。気をつけないと体調を壊してカゼをひいたりして長引くこともあります。もう長い休みも終わってしまいましたから、学校でも、会社でも長い休みはとれそうにありません。休まないようにこちが気をつけるしかありません。

 鹿児島のこの地方では、すでの田植えも終わって苗も少し色が濃くなり、成長しています。早稲なので、7月終わり頃には稲の収穫が行なわれます。畑にはサツマイモや、じゃがいもなど植えられています。また、一面が茶畑といったところも志布志や大崎、曽於市などに見受けられます。こちらの茶も今が一番茶の収穫時期になります。

 大隅地方では、鹿屋市に霧島ヶ丘公園があり、ここには九州でも大きなバラ園があります。もう満開になってそろそろ散り始めかもしれません。一見の価値はあります。
 
  1. 2008/05/10(土) 17:08:58|
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